表現の余裕

「内容はこんど...話してあげる」って言いまわし、どうしても好きよ。

お風呂上がりネイキッド、きもちいいなぁ、周りが寝静まっていないとできないことだから余計開放感があるんだろうね。

先日のこと。地元の古本屋さんで見つけた一冊:『日本料理語源集』。久しぶりに(なんとなく)一目惚れして買った本。中村幸平という方が書いた本で、料理や食材関連の用語が辞書みたいにアイウエオ順に載せられているのだけれど、もちろん内容もレシピめいた記述がたくさんでおもしろいし、何より言い回しが心地よいのね。例えば、

「玄米茶:玄米を香ばしく炒り番茶と混ぜたもの。時には塩を少し使うのもよいものです。」

って。ふつー「塩を少し入れると風味が増す。」みたいに書くでしょ、と思うわけ。でもこの本は最後に、です・ます調で終わる記述がほとんどで、内容が充実しているだけに表現の余裕みたいのが感じられてね、尊敬しちゃう。嫌味がないの。『若い小説家に宛てた手紙』というわたしにとっては読むのが難しい本があるのだけれど...「何を語るか」ももちろん大事なのだけれど、語り方(空間と時間の設定の仕方とか、それこそ言い回しとかね)も人に読んでもらう文章には責任を負わなければならないところなのよ。うん。

関係ないけれど、昨日茂木健一郎を近くのスーパーで見かけたよ。浴衣のおねえちゃんといっしょに小走りでお店をあとにしてた。あの髪型、白髪が混ざるとちょっとインパクトに欠けるなと思ったし、おねえちゃんもぜんぜん可愛くなかった(ふふふ、大きなお世話ver.2)。